鳴門市議会 2015-12-07 12月07日-02号
そんなとき板野町では、子育て支援や観光拠点づくりに力を入れた町版総合戦略「いたの再興〈最高〉新南海道戦略」の最終案が示されました。その中で10月1日現在の人口1万3,663人を2060年時点で1万人以上を確保するとしました。そして、出生数を増加させる施策として、町内に住む全ての就学前の子供の保育料を無料化する方針を固めたとしています。
そんなとき板野町では、子育て支援や観光拠点づくりに力を入れた町版総合戦略「いたの再興〈最高〉新南海道戦略」の最終案が示されました。その中で10月1日現在の人口1万3,663人を2060年時点で1万人以上を確保するとしました。そして、出生数を増加させる施策として、町内に住む全ての就学前の子供の保育料を無料化する方針を固めたとしています。
そしてこの機能が、奈良時代につくられる南海道や江戸時代の主要街道である撫養街道に伝統的に引き継がれているわけでございます。現在では本州四国連絡高速道路や四国横断自動車道として本州と四国を直結する重要な道へと発展してきておりますが、道にもこうした歴史的背景がございます。
私が最初、今から何年か前に市長さんに何度となくあの場所の城址の復元についてお願いをしたときは、あの石段を登れば、上に赤い毛せんがいすにありまして、そこにお抹茶とか、あるいは着物を着たお嬢さんが待っていてくれて、そしてまた城内のあの館の中に行きましたら、城の歴史とか、あるいは阿南市の南海道地震の悲惨な写真のパネルを張っているとか、中へ入りましたら歴史の勉強とか、今までの阿南市の姿がわかる、そんな館になっておればいいという
幸いといいますか,不幸にもといいますか,昭和21年の南海道地震の際には,本市においては,死者は1名のみであったというふうに聞いております。
30年以内に40%の確率で,マグニチュード8.4前後の東南海・南海道地震が発生するということが予想されております。そのため,平成14年7月に東南海・南海地震に関する特別措置法が制定されまして,昨年,徳島県でも南海地震対策チームをスタートさせております。
第3点目が,これも朝から,近日,最近よく論議される南海道地震の問題でございますが,きょうは1つだけに絞りましてお尋ねをしたいと思います。いわゆる南海地震に備えるために,住宅が倒れないかどうか,倒れるかどうか,そういう耐震診断,これが今求められておるわけなんですね。まず耐震診断をして,そしてオーケーならばそれでよろしいし,だめだということになると何らかの対応をしなければならない。
また,9月7日には,赤石グラウンドを会場に,南海道沖でマグニチュード8.6の大地震が発生したとの想定で総合防災訓練を実施いたしました。国,県の関係機関,消防団,地元関係団体,市民,小学校児童等の参加を得て,被害情報収集,広報,避難誘導など,14項目にわたる訓練を行いました。
徳島県内において,これから整備が進められる予定の四国横断自動車道・阿南-鳴 門間は,人口,経済・文化活動が集中する県内四市を結ぶ大変重要な区間であり,地 域経済の発展に資するだけでなく,近時に発生が想定される南海道地震における緊急 輸送路として,また緊急医療等,さまざまな観点から,早期の整備が強く望まれてい る。
南海道地震に備えてということで,前の議会ぐらいから引き続いて取り上げさせていただいておりますが,今回はそういう建物に対する,地震に備えるということで,耐震改修というもの,いわゆる地震に備えて建物を改修していく,改造していく,こういうことを促進する必要があるのではないかということで,今回,この地震について取り上げさせていただいております。
┃ ┃ │ │ ┃ ┃ ├──────────────┼────────────────┨ ┃ │2.南海道地震対策について │公共建物・構造物,個人住宅の耐震┃ ┃ │ │調査・改修について ┃ ┃ ├──────────────┼──────
ちょうど今から55年前に南海道地震が起こりました。私はもちろん生まれておりませんでしたけれども、そのときの模様がございますので若干紹介をしたいと思います。 浅川の津波記念碑。これは昭和31年12月に浅川天神前道路脇に建てられておりますが、「昭和21年12月21日午前4時19分の満潮時、東経135度6分、北緯33度、潮の岬南南西約50キロの海底を震源とする大地震あり、大地鳴動数分に及べり。
古くは、大和朝廷時代から奈良朝時代にかけて南海道と呼ばれてきた道がありました。今明石海峡大橋の開通によって、我が鳴門市は、大阪、神戸の関西圏と陸路で結ばれたのであります。開通前の記念イベントとして、3月21日から22日の2日間、一般公募で選ばれた約16万人の方々が、明石海峡大橋を歩くブリッジウォークを行いました。
徳島県は50年前の南海道地震では、津波により県南部を初め徳島市に至るまで海岸沿いは大変な被害を受けました。また、吉野川沿いの束西には活断層の中央構造線が貫いておりますが、専門家によると、近い将来、この中央構造線の活断層による大地震の発生や南海地震が再び起こる可能性があると指摘されておるわけでございます。万が一に備え、適切な震災対策が望まれるところであります。
この地震防災アセスメントの結果を踏まえまして、当面100年から150年の周期で繰り返し発生いたしております南海道トラフ海溝型地震、これを想定した地震対策を推進することといたしまして、現在全庁的な取り組みで本市の地震防災対策の見直しを実施しているところでございます。
アセスメント結果におきましては、過去に南海道で発生いたしました最大規模の安政南海地震と同程度の地震が発生した場合、建築物の被災棟数から推計いたしますと、罹災者数は約2万2,000人程度と推定されております。したがいまして、日ごろから市民に対する指導といたしまして、3日分の非常食等の準備を呼びかけているところでございます。
本県においても、昭和21年12月の紀伊半島沖を震源地とするマグニチュード8.1、最大震度6の南海道大地震があり、死者200人、全半壊家屋1,500戸に上り、津波等による多くの被害をもたらしました。そして、南海道地震、また中央構造線活断層による地震が、徳島においてもいつ起こるかわからないと専門家の間でも言われている状況であります。
先日発表になりました事業説明によりますと、よみがえる南海道という高速道路の徳島県の名前だそうでございます。非常にロマンのある、夢のある名前が復活したなとあのとき初めてお伺いいたしましてうれしくなったわけであります。
また、徳島県第一次道路整備五カ年計画の整備も進み、基本方針に基づく整備目標の広域交通ネットワークの交通体系の整備も進み、横断に続き縦貫自動車道や本四鳴門・神戸ルートの全線供用、また関西国際空港の開港、さらに南海道ホットライン構想と、本市を核とする高速交通体系は大きく変貌しようとしておるわけでございますけれども、特に運輸部長はこの市民の足としての市バスの役割と、高速交通時代を迎えようとしている現況の中
鳴門市においての昭和に入ってからの大きな災害記録には、昭和九年九月室戸台風、昭和二十一年十二月南海道大地震、昭和三十四年九月伊勢湾台風、昭和三十六年九月第二室戸台風、昭和五十一年九月台風十七号等があります。現在島原市においての雲仙普賢岳の火砕流の災害はいまだに続いていますが、二百年前にも噴火による大災害を起こしておるのであり、まさに災害は忘れたころに起こるのであります。
今現在やっておるのは南海開発でして、南海道開発だとか南海不動産だとかそういった問題が出先としておるわけです。しかし、あの会社というのはやっぱり何と言っても南海電気鉄道というのが「うん」と言わなきゃ話にならない。だから、私はやっぱりお会いして話をするのは南海電気鉄道さんのトップの人とじっくり話をしたい。こういうことでいろいろお会いをしたわけでございます。